~外国につながる人たち~(24)藤井アリソン悟さん
掲載
ブラジルのサンパウロ州スザノ市出身で、日系3世。生まれてすぐ日本に来て5歳まで過ごしブラジルに帰国しましたが、2017年に再来日したそうです。日本語堪能で通訳ができるほど。日本語のことやコロナ禍の生活のことをお聞きしました。
SIC:2017年に出雲に来られたきっかけは何ですか。
藤井さん:日本に来るきっかけは、ブラジルの治安です。ブラジルで6~7回強盗にあいました。本当に拳銃を突き付けられました。怖かったです。日本に行きたいと思っていませんでしたが、いとこが日本の静岡へ行くと聞いて、自分も日本へ行くことを考え始めました。
派遣会社の社員として出雲市の工場で約1年2か月働きました。その後はブラジルサポートセンターで働き、今は保険の仕事をしています。保険の仕事をするために、日本の資格を取得しました。お客さんはブラジルの人です。
今でもブラジルサポートセンターのことはボランティアで手伝いをすることがあります。
SIC:日本語が上手で通訳もされていますが、どこで勉強されましたか。
藤井さん:日本語はブラジルで勉強しました。両親は日系2世で日本語の読み書きもできます。両親が「日系人なら日本語ができなきゃだめだ」という方針だったので、勉強しました。スザノ市の教会の牧師さんだった日本人にプライベートレッスンをしてもらいました。日本語能力試験N1の取得が目標でしたが、15歳のときにN2を取得してから、試験勉強をする時間やタイミングがなくN1は取得していません。本格的に勉強したあとは、漫画やゲームで日本語に親しみました。今は日本語は勉強していません。
SIC:ブラジルの治安が不安だったということですが、出雲はどうですか。
藤井さん:出雲は好きです。夜でも一人で歩けるので、安心して暮らせます。ゆったりしているのがいいですね。
SIC:地域とのかかわりはありますか。
藤井さん:ブラジルサポートセンターで働いていたときは、コミュニティセンターのイベントに参加したり通訳をしたり、当時は色々な人と関わりがありました。今は仕事が忙しくて地域のイベントに参加することはなかなかできなくなりました。通訳の手伝いは、仕事で緊急の対応が必要になると迷惑がかかるので、受けないようにしています。
もともとあまり社交的ではないので、普段は家でゲームをしたり、読書をすることが多いです。
SIC:言葉や生活のことで困ったことはありましたか。
藤井さん:日本語で困ったことはないですね。初めて出雲に来た時に一畑電車で出雲大社に行こうとしました。ブラジルでも電車にはよく乗っていたので不安はありませんでした。でも、川跡駅での乗り換えが分からず電車に乗ったままだったので、折り返して出雲市駅に戻ってきてしまいました。
ブラジルでは車の免許を持っておらず、日本でもしばらくは免許がないまま過ごしました。車がないと不便なので日本で免許を取りました。自動車学校には通わず、自分で勉強しました。まだ工場で働いているときだったので、疲れていたり、友達と遊びに行ったりしたので時間が取れず免許を取得するまでに1年かかりました。
SIC:新型コロナウイルスの影響はいかがですか。
藤井さん:バーベキューはやらなくなりました。県外に行くこともほとんどありません。前は友達に誘われて遊びに行っていました。マスクは慣れました。
仕事上、いろいろな人と会わないといけないので、県外の人と会うときは少し不安で気を付けています。仕事への影響は1か月程度で、今はほとんどありません。
SIC:ブラジルのコロナはどうですか。
藤井さん:両親はスザノ市にいて、元気です。ブラジルでは、マスクをつける習慣がないので不安でした。今はつける人が多いです。
以前は気にしていませんでしたが、両親の健康が心配になるようになりました。
両親とは毎週スカイプで話しているので、ブラジルに帰りたいということはないですが、できれば両親を日本に呼び寄せたいです。
SIC:将来、日本にずっと住もうと考えていますか。
藤井さん:ブラジルの治安は不安なので、自分がブラジルに帰ろうとは思いません。
できれば将来は、日本で結婚して家族を作りたいです。家を建てるなら天気がいいところがいいですね。
SIC:行政や地域の人にお願いしたいことがありますか。
藤井さん:行政には難しいことですが、法律を変えてほしいです。入管法で日系4世も入国できるようになりましたが、条件が厳しくて、日本に入れる人は少ないです。日本に来たい日系人はたくさんいますが、日本に来れない人はブラジルに残るしかありせん。ブラジルでは人手が余っていて、日本では工場などで人手不足です。日本に来て働けるようにできるといいと思います。
■最後に
ブラジルで何度も強盗にあった藤井さんの「出雲では夜一人でも歩けて安心」という言葉。安心できる環境にほっとしたと語る表情が印象的でした。流暢な日本語を駆使して、ブラジル人住民のサポートに関わってこられたり、保険の仕事をしたりと活躍されています。これからの活動も応援しています。
(公財)しまね国際センターは~外国につながる人たち~を応援しています