~外国につながる人たち~(22)増田エリザさん
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年末に市内で開催された「多文化おしゃべり会」にて、エリザさんと初めてお会いしました。フィリピンのダグパン市で生まれマニラで育ったエリザさんは、来日後日本人のご主人と結婚し、もう21年経つそうです。裁縫が得意なエリザさん、フィリピンではウェディングドレスなどを作っておられたそう。コロナ禍での生活や、フィリピンのご家族のことなどお聞きしてきました。
SIC:長く島根に住んでおられますが、日本語はどこで学びましたか?
エリザさん:浜田市内の日本語教室に長く通っていました。子育てが忙しくなったこともあり最近は行っていませんが、また敬語など勉強したいなぁと思っています。以前は、「えび」と「へび」、「はな」と「あな」、「はし」と「あし」などの似た言葉をよく間違えました…今はNHKの朝ドラ「おちょやん」を見て勉強していますが、最近は使わない言葉が多いですね(笑)。眉毛の太い女の子が出ているテレビ…そうそう、イッテQも好きでよく見ています。色々な国が出ていて、国によって違うこと、お祭りなどを紹介していて勉強になります。
SIC:エリザさんは、以前ウェディングドレスを作っておられたとお聞きしましたが…。
エリザさん:はい。ウェディングドレスや看護師などの制服も作っていました。フィリピンで、近所の人がボタン付けをしているのを手伝ったときに教わって、あとは好きでどんどん作っていくうちに覚えました。ファッションデザインも学んで、Certificateを取りました。日本に来てからは、主人の甥が結婚する時に私がウェディングドレスを作りました。新型コロナウイルスの影響でマスクが不足している時は、知り合いから依頼を受けて個人的にマスクを作って卸したり、販売していました。
SIC:新型コロナウイルスの影響はいかがでしたか?
エリザさん:そうですね…一時期は、マスク作りや子どものことで忙しくしていました。お義母さんの世話や家のことを中心にしていて、外出も控えていました。子どもたちは休校になったので、一緒に家でフィリピンのニュースを見たりもしていました。
SIC:フィリピンのご家族はどうされていますか?
エリザさん:家族は大丈夫ですが、フィリピンはロックダウンしているので大変です。私の弟は救急車の運転をしているので、今はコロナ患者も多くてとても大変です。病院がいっぱいで、別の病院に運んだり…休みもありません。弟は週に1回PCR検査を受けていて、元気にしています。私の兄は警察官で、ロックダウン中の見回りもしています。他にも病院の検査技師と役所の職員、あとはレスキュー隊員の兄弟がいます。日本にいる自分は大丈夫だけど、フィリピンの家族が心配です。帰りたいけど帰れなくて、悔しい。
ロックダウンで、年配の親は外出もできません。子どもや年寄りは外出が禁止されていて、若い人でもマスクやフェイスシールドがないと捕まります。銀行や買い物に行くのも毎回行列に並ばなくてはならなくて大変だし、量や人数に制限もあるので不便だと聞きました。去年の台風の影響で野菜も高くなり、簡単なものばかり作って食べていると兄の奥さんが言っていました。また、私の兄弟は大丈夫でしたが、仕事がなくなった人も多くいます。食べ物もなく、補助金(アユーダ)もない人などいることを考えると、とてもつらいです。
SIC:フィリピンと日本では、どんな違いがあると感じましたか?
エリザさん:全然違います。(笑)フィリピンでは外で遊んだりお酒を飲んだり、近所の人がみんな仲良しで…家の周りでカラオケしたり、ご飯に呼んだり、クリスマスもクラッカーを鳴らしてとても賑やかです。娘を初めてフィリピンに連れて行った時は、人が多くてびっくりしていました。学校も人があふれています。
クリスマスパーティーやニューイヤーパーティーも賑やかですよ。カウントダウンしたり、クラッカーを鳴らしたり…お正月にはParlor gameというものがあって、お皿に小麦粉とコインを入れて、小麦粉を吹いてコインを探すのですが、みんな顔が真っ白になって盛り上がります。また、家族みんなで服や服の色を揃えたりします。これは家族の写真ですが、パジャマパーティーをしています。服の色にも意味があって、赤は幸せ、黄色は輝き…などの願いが込められています。
SIC:日本では、地域の方との繋がりなどはありますか?
エリザさん:そうですね、私は近所の方にとても恵まれていて、よくしてもらっています。特に何か活動をしているわけではありませんが、近所の人と一緒に散歩したり、たまに会って近況を話したり…町内の掃除などで会った時に挨拶したりお話したり。親しい人もいて、お世話になっているんですよ。
SIC:お子さんが二人いらっしゃるんですよね。
エリザさん:はい。息子は進学のためもうすぐ県外へ行くので、妹がとても寂しがっています。兄妹は二人だけなので、大切にしなさいと言って育てました。
フィリピンでは、女の子(女の人)やお年寄りをとても大切にしますから、子どもにもそう教えています。しつけは少し厳しいかもしれませんが、挨拶をきちんとすること、男女はお互いに尊敬しあうことなど教えています。家の手伝いも順番にするし、料理も教えています。私がずっと一緒にいられるわけではないので、一人でも生きていけるようにと色々なことを教えていて、子どもたちはみんな自分でできます。
以前、フィリピンで私だけ入院したことがあったのですが、子どもたちは「心配しなくても(自分たちでできるから)大丈夫。いつも教えてくれてありがとう。」と言ったんですよ。嬉しかったです。
子どもたちが小さい時にはタガログ語を使っていたのですが、今ではもうわからないみたい。でも、怒っている時にはわかるようです。(笑)
SIC:日本での生活で、困ったことなどありましたか?
エリザさん:日本のことは、主人に教えてもらいました。主人も優しい人で、お互いできないこと、わからないこと、ぶつかることもありますが、きちんと「ごめんね」と謝ります。子どものためにも、日本で頑張ると決めています。生活や子育てなどは、フィリピンと日本のいいところを取り入れていますし、違う国で子育てをするのは新しく知ることが多くて大変だけど、勉強していこう、合わせていこうと思っています。好きなことばかりではないけど、相手の文化を尊重すること、生活などでは合わせていくことも必要…と、同じように外国から来たお友達と話しています。私は台湾に住んでいたこともあり、色々な国の文化や言葉など尊重することが大切だと考えています。日本食も美味しいですよ!(笑)
■最後に
インタビューのためご自宅に伺いましたが、リビングにはフィリピンや日本で撮られた家族の写真が壁一面に飾られていて、ご家族をとても大切にされているのがよく伝わってきました。フィリピンと日本では生活習慣も子育ての環境もかなり違うと思いますが、それぞれの良いところを取り入れつつ、相手の文化も尊重し、必要なところは合わせていく…そんな風に心を決めて頑張っておられるエリザさんに、日本で生きていく強い覚悟のようなものを感じました。今は休止中の裁縫仕事、またぜひ再開されたら作品を見せてくださいね。
(公財)しまね国際センターは~外国につながる人たち~を応援しています