~外国につながる人たち~(11)姫艶秋さん
掲載
初めてお会いしたのは浜田の日本語教室でした。その時もとっても元気で、パワフルで、先生方に「秋さん、話してないで、本を見て勉強しなさい!」と言われていたのが、とても印象に残っています。来日7年、日本語はまだまだ勉強中とのことですが、今日はお仕事がお休みだと伺ったので「インタビューさせてもらえませんか?」とご連絡したところ…
姫さん:今(午前)はお義母さんと一緒に、お義母さんの友達のところに遊びに来ているのでダメですが、午後は大丈夫ですよ。うちにお昼ご飯を食べに来ませんか?家で餃子でも食べながら、話しましょう。
ほとんど押し切られる形で、お昼の12時半、約束のお家に伺うと、テーブルの上に準備されていたのは、これから餃子の皮になりそうな真っ白な大きな塊、これから具になりそうな豚バラ肉の塊と茶色い皮がついたままのたまねぎ1個。私は柱に掛かっている時計を見ながら、一抹の不安が頭をよぎりました。13時半にはここを出発しオフィスに戻ること、ニンニクは入れないで欲しいことを伝えると、「わかった!」と、手を動かしながら、インタビューにご協力くださいました。
姫さん:日本に住んでいた私の姉夫婦が、中国にいた私に日本に来ることを勧めてくれました。自分は日本語も話せないし、日本の習慣もわからない。生活するのは難しいだろうと思いながら、当初は軽い気持ちで、姉に会うために浜田に来ました。来てみたら、空気もいいし、田舎で良いところだなと思いました。私の出身は中国の黒龍江省ハルビン市です。大都会ではありませんが、周りは高層ビルばかりでしたから、自然豊かな浜田がとても気に入りました。
姫さん:姉が働いている会社での就職が決まり、日本での生活をスタートさせました。そして、その後、今の日本人の主人と出会い結婚、あっという間に7年が経ってしまいました(笑)この7年の間、会社で人の入れ替わりがたくさんありましたが、私はずっと同じ会社にいます。それが私の自慢です。
姫さん:結婚当初は習慣の違いから、いろいろあったと思いますが、主人の両親がとてもよくしてくれて、去年亡くなったお義父さんには本当に可愛がってもらいました。私が外国人であること、だから習慣が違うこと、全てをそのまま受け入れてくれて、頭ごなしに叱ったり、「日本のやり方」を押し付けるようなことは一度もありませんでした。今でも時々お義父さんを思い出し、会いたいと思うことがあります。お義母さんも、「日本語が上手になるように、日本の生活に慣れるように。」と出かける時はいつも私を連れ出してくれます。今日も午後インタビューがなかったら、お義母さんと一緒に温泉に行くつもりだったんですよ。嫁姑の話は中国でもあるし、まして文化背景が違う国際結婚ですから、夫婦喧嘩や、家族内の問題も、私と同じように国際結婚した友達から聞くこともありますが、うちは本当に仲が良くて、何の問題も、ストレスも全くありません。珍しいかもしれませんね(笑)
姫さん:主人も優しい人で、私の家族を自分の家族のように大切にしてくれています。休みが合えば、よく一緒に遠くまで遊びに行きます。県内はもちろん広島や大阪にも行ったことがありますよ。本当に毎日幸せで、この幸せがこのままずっと続けばいいなと思っています。先は長いですからね。はい、できた。食べてください。
■最後に
時計を見ると、午後1時20分。手を動かしながら、口を動かしながら、なんと時間通りにお昼ご飯ができあがりました。お話を伺っていると家族をとても大切にされていることが伝わってきました。「日曜日の日本語教室に毎週行きたいけど、折角の週一の休みだから、お義母さんと一緒に出掛けたり、主人と遊びに行ったりでなかなか行けないんです。」と日本語教室の先生方に申し訳なさそうに(?)、そして残念そうに仰っていました。これからはご家族でセンターのイベントに遊びに来てください。そして、センター活動のお手伝いもよろしくお願いしますね。
(公財)しまね国際センターは~外国につながる人たち~を応援しています