来日3年目、大田市で働くブラジル人ご夫妻、イトナガ・ウィリアン・カズオさんとイトナガ・ロウレンソ・フェルナンダさんにお話を伺うことができました。挨拶をすると、明るい笑顔で、日本人のようにごく自然に頭を下げ、日本での生活にもうすっかり慣れたように見えるお二人ですが、今年4月9日未明に大田市を襲った震度5強の大地震が、お二人が生まれて初めて経験した地震だったそうです。その時のお話を伺いました。


SIC:怖かったでしょうね。

フェルナンダさん(妻):「怖かった。」というより、何が起きたのか全くわかりませんでした。「何かが来た!」でも、何が来たのかわからない。すぐにアパートの部屋を飛び出して、同じアパートに住むブラジル人の同僚と相談し、すぐに車を出して、アパートの前にある商業施設の大きな駐車場に集まりました。徐々にこれがあの”ジシン”なのだと分かり、この揺れの後に、日本に来る前にブラジルのテレビで見た、あの大きな津波が来るかもしれない、三瓶山が噴火するかもしれないと車の中でずっと怯えていました。SNSでいろいろな情報が発信されるので、ブラジルにいる友達や、家族も心配して連絡をくれました。彼らに心配をかけないように返事もしなければいけない、また同時に現地のこれからの情報も得なければいけない、本当に不安でした。涙を流す人もいました。

SIC:地震の経験がないんですか?

フェルナンダさん:ブラジルで一度も地震を経験したことがないです。だから、想像もできなかった。どうしたらいいのかもわからなかった。日本に来て、会社で火災の防災研修をしたことはあります。でも、地震の時にどうしたらいいか誰にも聞いたことがなかったんです。私たちはあまり日本語ができないので、日本語での情報はあまり理解できません。ブラジル人の仲間とSNSを通して連絡を取り合い、情報を集めながら駐車場に集まりました。みんな一晩ほとんど眠らず朝を迎えました。朝になり、会社の関係者とも連絡が取れ、やっと道路を挟んで目の前のアパートに帰りました。でも、この後どうなるのか分からず不安でした。私たち夫婦はその日二人とも家にいたのですが、夜勤に入っていたブラジル人の同僚は会社の指示に従い、構内の食堂や、外の駐車場に集まり、避難していたそうです。

SIC:それは怖かったですね…

カズオさん(夫):島根には原子力発電所がありますよね?それが怖かった、本当に怖かった。2016年に鳥取で大きな地震がありました。その後2017年に山口県萩でも地震がありました。その間にある島根県の大田市には地震は来ないと聞いていました。でも地震がありました。少し離れたところに私のお祖父さんの妹も暮らしているので、地震の直後に心配で電話をしたら、「家族で避難所にいる。大丈夫だ。」と答えてくれ、安心しました。

SIC:ご親戚が大田市にいらっしゃるんですか?

カズオさん:はい。私たち夫婦が大田市に来た後、ブラジルに住む親戚を呼びました。大田には仕事もあるし、海や山もあるし、とても良いところだと紹介しました。

フェルナンダさん:私たちは旅行が好きで、東京や大阪にも行きます。でもこの静かな大田市が大好きです。ブラジル人はサンバや、サッカーの応援などにぎやかなイメージだと思いますが、毎日はイヤ(笑)、時々なら良いです(笑)。私の誕生日の時に、夫が山口県の角島に連れて行ってくれました。本当に海がきれいでした。私たちブラジル人は海が大好きです。

角島でのサプライズはこの大きなバースデーケーキでした。

SIC:ぜひ、これまでにお二人が行かれた島根のおすすめの場所を教えてください。

カズオさん:先週末、岩瀧寺(江津市波積町)に滝を見に行きました。とても気持ちが良くて、美しいところでした。写真もたくさん撮りました。ブラジル人の友達のSNSで写真を見て、行きました。とても良いところです。大田のブラジル人は、みんな一度は行っていると思います(笑)。

最近海外の人がよく訪れるという岩瀧寺の滝、この風景を眺めているとあっという間に1時間経っているとか。

フェルナンダさん:よくブラジル人の仲間と一緒に大田市の久手ビーチでシュハスコ(ブラジルで一般的なバーベキュー)をします。ビナグレッチソース(ビネガーベースのさっぱりしたドレッシング)をかけたサラダと一緒に食べます。ブラジルの音楽を流しながら、みんなで食べて、飲んで、おしゃべりして、遠いブラジルを思い出しています。

ブラジルでは鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩をふって焼くバーベキュー(シュハスコ)が一般的だそうです。


■最後に

お二人は生まれて初めての地震を日本で、それも震度5の地震を経験されました。これまで私は「地震を知らない人達がいる」ということを考えたこともありませんでした。初めての「ジシン」で何が起こったか分からず、日本語が分からないために情報が限られ、夜中だったこともあり、情報や助けを求める術、求める先がすぐにはわからなかったという状況に言葉がありませんでした。地球の裏側の親戚は手を差し伸べたくても届かず、状況も分からない。公的機関の支援が入るまでは、被災地の住民たちで、声を掛け合い、助け合うのが一番合理的なのではと感じました。私の家の周りに情報から孤立し、動けない人たちがいないかとふと考えた瞬間でした。


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