【第1回】◆1. 島根県での生活体験
私は主人と知り合い5年前に中国から日本に来ました。日本の社会に溶け込む為にはいろいろな障害や壁があります。私には優しい日本の家族とたくさんの日本の友達がいましたし、中国語教師、通訳という職業から見ても恵まれていたと思います。主人は日本人ですが、日本に来てすぐ日本人の本当の友人ができ、その人たちに支えられていろんなことを教えてもらっています。私は出雲市に来た翌年、5カ国サッカー親善試合の通訳として協力させて頂きました。その時、ほかの語学スタッフと親しくなりそれをきっかけに友達の輪がだんだん広がりました。
私の経験では積極的に自分の方から日本の社会、文化に溶け込もうとすることが大切だと思います。もちろん、自分の国の生き方で日本でも暮らしたいならそれも自由ですが、やはり私は積極的に日本人にある程度合わせることも大事だと思います。いま振り返ってみると大学時代に習得した日本語、日本の歴史、地理、文化など、いろいろなことが今の日本の生活に役に立っているととても実感しています。
よくインターネットを使って中国にいる家族や友人と連絡を取っています。今自分は日本にいますが彼らとあんまり離れていない気がします。インターネットで世界が小さくなったということはまさにその通りです。日本での生活に関しては、いろいろと聞かれます。「納豆を食べられますか」とか、「刺身を食べられますか」など、日本文化の中でよく目立つことについて聞かれますが、生活に関わる習慣は一番身につけやすいのです。
一方、実際の生活の中で、互いの生き方や文化がぶつかり合います。お互いに理解しあわないといけないので、人間の内面が関わってくると思います。この5年間の日本での生活を振り返ってみると、一番苦労したのは、自分なりの振る舞いを日本人のやり方に合わせなければならないところにありました。毎日早く起きて家族のために弁当を作って、朝ごはんを用意して、もう戦争のようです。日本の朝は大変だなと思っています。中国の場合、昼休みに時間的に余裕があるので昼ごはんは大体買って食べるか家に帰ってから作って食べます。だから弁当を作る必要がないのです。朝はジョギングをしたり、体操をしたり、悠々と体を鍛えてから朝食を取り、遅刻しないように出勤します。また夕方5時に家に帰るので自分の自由時間は多いわけです。仕事と余暇のバランスが取れて、自分の人生をもっと楽しんでいるのではないでしょうか。資源を持たない日本が世界のトップレベルに躍り出ることができたのは、仕事に対する態度がよく、自分の仕事を一生懸命にやってきたことが世界にも認められていますが、もっと余暇が取れたらいいなと思います。
また日本人の計画性には驚きました。現在、二人の子供が保育園に通っており、新学期には年間の保育園の行事予定表をもらいました。内容を見たら、5月春の遠足は10日で、6月公開保育日は21日というように計画されています。中国だったら、まずこういう詳しい日時まで書かれている年度予定表はないと思います。日本人の物事に対しての段取りや計画性に私はとても感心しました。でも反面、遠足に行く日が雨だったら中止となるケースも多いのです。「雨だったら、また違う日にすればよいではないか」と尋ねると「いや、他の計画のものとぶつかり合ったりして、それは計画を変えることができない」と言われました。計画を総合的に見直して、遠足を実現してもらいたいと思いました。
また日本人はいつも便利さを求めています。最近、コンビニに写真、コピー、FAXが一体になった複合機があるようですね。ちなみにコンビニを中国語で言うと「24時間便利店」となります。これは世の中のニーズに合ったやり方だなと感心しました。日本社会は世界の中で最も効率性と便利性を追求している社会だと感じています。
そして、もう一つとても気になったのは日本のメディアのことです。もちろん、日本はとても自由な国です。それに従って報道も自由です。テレビを見るたび、ラジオの放送を聴くたびに、目や耳に入ってくるのは事件のことばかりです。事件がおきるといつもメディアによって大きく取り上げられます。でも、一般的な認識やイメージを作ることにおいてマスメディアが大きな社会的影響力を持っているので、人間の心理に迎合して視聴率をあげるために頻繁に事件を報道してしまうと危険な社会現象になる恐れがあるのではないかと思います。
また日本人と中国人は漢字を使い、箸を使って食事をするなど、共通することがたくさんある反面、違和感を感じ戸惑うこともたくさんあります。戸惑いの原因は文字や食文化の違いではなく、物に対する考え方であったり、感情であったりします。日本で暮らす私は、時々こういう言葉に戸惑います。「考えておきます」「検討しておきます」と言われたら、相手が本当に考えるか、それとも断っているのかと困ります。こういうはっきりしない、曖昧な返事や態度を取ることは外国から来た人にとって大変わかり難いのです。
でも「違うことは楽しいこと」と理解すれば、日本人か外国人かという見方を超えて、住民としての相手を尊重する人間同士の付き合いができるはずです。私はそう信じております。むき出しのナショナリズムは、人間自身を見えなくさせます。私達は確かに日本人であり、中国人だけど、その前に「個人」なのです。
70年前に義理のお父さんの叔父さんが中国で戦死しました。70年後私は中国からお嫁に来ました。なんと感無量です。時代と共に、国と国との隔たりもなくなり、生き方も変わっていくでしょう。そこには、地球上の人間が一つになって、世界平和がやって来ると思っています。
つづく・・・
次回、第二回
◆通訳ボランティアを通して見えてきた日本人と外国人とのコミュニケーションの課題



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